ヰ記列伝五 秀の介 伝 - ウキpediaスレ第四刷 REDIRECT [[さわやか]](趣味一般@2ch掲示板)


秀の介(ひでのすけ)は、もじら組の一員で、ウィキペディアのユーザーである。
職業はおそらく制御系プログラマ
しかし、ウィキペディアではプログラム以外の執筆が多い。


688 :ヰ記 ◆8j8SuAgLGo :03/12/16 19:04 ID:???
==もじら組の男==

秀の介は、オープンソース計画を開始して間もないモジラ1999年に自分のリナックス機に導入した。
秀の介はもじら組の一員となり、モジラのバグ取りを日本語で支援する役目を引き受けた。
秀の介とは誰かという問いに一言だけで答えるならば、ウィキペディアのユーザーという答えにはならない。
秀の介は、まずもってもじら組の男である。

モジラオープンソース計画が、ウィキペディア計画と同じ文化的背景を持つことは、いまさら説明の要もあるまい。
秀の介には、ウィキペディアに好感を抱く理由があった。


689 :ヰ記 ◆8j8SuAgLGo :03/12/16 19:05 ID:???
2003年3月4日に、[[BELL研究所]]を[[ベル研究所]]にリダイレクトしたのが、ウィキペディアでの活動の第一歩であった。
実際にウィキペディアを知ったのはもう少し前で、しばらくIPとして様子見していたのだろう。

本格始動は8月23日からで、もじら組関連のスタブ記事を作った。
秀の介は、「自分で記事を書くってのは、なかなかおもしろいもんだなあ」と感想を記した。


690 :ヰ記 ◆8j8SuAgLGo :03/12/16 19:09 ID:???
==余業余技=

その後秀の介は、近所の鉄道と駅の記事を書き、その他手当たりしだいにあちこちに手を入れはじめた。
編集のかなりの部分が既存記事の小さな改善だが、土地勘がある場所の記事を新規に起こすこともした。
いくつかの分野で一覧作りにも取り組んだ。

しかし、プログラム関連分野には寄り付かず、9月半ばにコンピュータ機器関連をぽつぽつ書いたが、それにも熱意を示さなかった。
書こうと思えばいくらでも専門的な記事が書けるのだから、これは本人の明確な意思であろう。


691 :ヰ記 ◆8j8SuAgLGo :03/12/16 19:11 ID:???
ウィキペディアへの参加は秀の介にとってあくまで手伝いであり、同じ志を持つ者に手を貸すという以上のスタンスにはならなかった。
秀の介は既に一つ、己の持つ才にふさわしい責任を自発的に引き受けていた。
だから、この上ウィキペディアの中心になるわけにはいかないと考えた。

助っ人である秀の介は、ウィキペディア全体の運営には口を出さないし、表立って関心も示さない。
しかし記事の改善を目的とするノート書き込みの頻度は高かった。


762 :ヰ記 ◆8j8SuAgLGo :03/12/17 19:19 ID:???
==文字列に飾りなし==

秀の介は自分の意見に固執することがない。
疑問にしがみつくことはさらにない。
気軽に書き込み、身軽にひっこむ。
8月26日のやりとりを引こう。
日本の)「最初の駅は「品川駅」じゃなくて、「新橋駅」(現在の汐留駅)ですよね?」
と秀の介は一文書き込んだ。
が、Gの説明を受けて、「そうでしたか。知識不足でした。」
と、あっさり引き下がった。
これが典型である。
返事がこない場合もあるが、それはそれで気にしない。
政治的に微妙なテーマを忌避することもない。

秀の介は意を伝えるのに最小限の字数を用いることを好む。
短く伝えるといっても、詩人の短さではない。
秀の介の文は詩と正反対の極北にあり、行間に感情をこめるなど思いもよらず、徹底して情報伝達の道具である。
どこでどうやって身に着けた文体かは説明を要すまい。


764 :ヰ記 ◆8j8SuAgLGo :03/12/17 19:20 ID:???
しかし、彼のような文体はネットでは誤解を受けやすい。
簡略な文を礼儀の欠如とみなし、欠落部分に非難のが埋め込まれていると憶測する人がいる。
ノートに書くこと自体が一種の非難だと感じる人もいる。
そういう人たちは、秀の介は単にケチをつけるのが好きなやつなのだと考えた。

また、すぐに出てすぐに引くというのは、別の見方をすれば「ハズレ」率が高いということでもある。
打点と空振りの両方で、秀の介の成績はウィキペディア屈指。
出没分野の広さもあいまって、知らぬ人なき名物ユーザーになった。


765 :ヰ記 ◆8j8SuAgLGo :03/12/17 19:22 ID:???
==ドレミファインバーター事件==

本格参加して一か月もしないうちに、ウィキペディアを、そして秀の介を、もっとも消耗させた事件が起こった。

8月18日に登場した219.111.193.249のIPユーザーは、その日から鉄道分野に有益な情報と独特の解説、そして間違った情報ををあわせて書き始めた。

彼が9月6日にドレミファインバーターという記事を作ったのを見た秀の介は、記事を整形した上で、「ところで、ドレミファインバーターなんて、どこで言われてるんですか? 歌う車両なんてのも、聞いたことありません。」
と記事中にコメントした。
しかし219.111.193.249は答えることなく、このコメントを消した。


766 :ヰ記 ◆8j8SuAgLGo :03/12/17 19:22 ID:???
このことがノートで問題になると、219.111.193.249は「横浜飛ばし」や「閉鎖人間」を名乗って苦情を書き、秀の介のユーザーページ次のような文に書き換えた


 しかえしだい。
 ドレミファインバーターを、VVVFに転送したり、閉鎖したり
 したのはあなたですか?何か恨みでもあるの?
 むしろ、常磐線つくばエクスプレスに転送するか、閉鎖し
 てくれよ。

767 :ヰ記 ◆8j8SuAgLGo :03/12/17 19:24 ID:???
解説を加えれば、VVVFに転送したのはsphlである。
常磐線については、この2日後に219.111.193.249が自分で白紙化し、ついでリダイレクトにした。
つくばエクスプレスが開業したら常磐線には用が無い」というまったく個人的な理由であった。
219.111.193.249のわがままな振る舞いはまだまだ続くが、ここでいちいち列挙はすまい。

この日、219.111.193.249は執拗に秀の介のノートをいじり続けた。
15日に、秀の介のユーザーページを[[地下鉄]]へのリダイレクトにした。
同じ日に、Yugui219.111.193.249に対する警告メッセージを掲載すると、ようやく攻撃は止んだ。


768 :ヰ記 ◆8j8SuAgLGo :03/12/17 19:30 ID:???
==重度中毒者の行方==

短文ばかりの秀の介の文からは、事件に対する感情を読み取ることはできない。
219.111.193.249との対話が無駄なことははっきりした、もう対話の時期は終わったというのが、秀の介が表明した考えであった。
だが、それに一致した賛成を得られないことを知ると、無駄な力を使わず個別対処にとどめた。
11月に219.111.193.249はウィキペディアから去った。

ドレミファインバーターが作られた9月6日は、秀の介がウィキペディアに常駐してから15日めになる。
この半月の編集回数は平均で一日16回だったが、7日に書き込み回数が跳ね上がり、次の半月には一日平均27回になった。
成り行きを気にしながら次々に記事を編集していたのであろう。
この勢いは10月に鈍ったが、11月には盛り返して今に至る。
秀の介がウィキペディア中毒に陥ったのは誰のせいでもないが、重度中毒者になったきっかけは219.111.193.249にある。


771 :ヰ記 ◆8j8SuAgLGo :03/12/17 19:43 ID:???
秀の介は、鉄道や王朝に関する討議の主要参加者であり、他の問題でも縦横無尽に活躍した。
全分野で編集を続ける一方で、スコットランド史とイングランド史を調べては書く。
元から好んでいたにせよ、今ではなまなかな歴史好きでは及ばないところまで入りこみつつある。

「案外、飽きないもんだなあ。」と秀の介はつぶやく。
暇つぶしの手伝いであったはずなのに、随分な時間を割いている。
いつ飽きるのだろう。
飽きる日が来るのだろうか。
それは誰にもわからない。
ウィキペディアの歴史はあまりに浅いので、重度中毒者の行き着く末は、秀の介がその身をもって確かめるしかない。

(秀の介 伝 完)