ヰ記列伝六 Gombe伝 (04/01/22)- 【スタブ】ウキpediaスレ第九刷【対峙】

'''Gombe'''(ごんべ)は、ウィキペディアの管理者である。関西在
住の社会人。顔文字を好む(^^)


371 :ヰ記 ◆8j8SuAgLGo :04/01/22 20:37 ID:???
==日本語版ウィキペディアの始まり==

Gombeは、1月28日のHotWiredでのウィキペディア紹介を見て日本語版ウィキペディアにたどりついた。
参加開始は2月3日。メインページに赤リンクであった地学に説明を記したのが第一歩である。

Gombeは、日本語版が助走を終えて飛躍を開始するまさにそのときにいあわせた。
2月までに登場した古株には、その後消えた者も多いが、何人かは12月現在も活発に動いている。
しかし十か月間皆勤となると、管理者以外ではなかなかいない。

2月初め、ウィキペディアには簡単なメインページとわずかな記事しか持たなかった。
文書類はみな英文で、何を規則とするかもわからない。
しかし、英語版が既に存在していたので、それが完成予想図として皆に配られていた。
初期参加者たちは、英語版を参照しつつ、翻訳と新規編集に取り組んだ。


372 :ヰ記 ◆8j8SuAgLGo :04/01/22 20:38 ID:???
===ウィキペディアの建設===

Gombeは初期ウィキペディアの建設で旺盛に活躍した。
彼が提案して策定したり、相談に加わったりした事柄は数多い。
すべての問題でGombeが主役だったわけではない。
しかしGombeは人の提案に耳を傾けて答え、話を進め、人の功績をほめ、かつ感謝して、円滑な進行に寄与した。
時に顔文字を使いつつ、楽しく関わるGombeの気分は皆にも伝わり、場を明るくした。

Gombeは特定専門分野を持たずに充実した記事を投下する執筆者でもあった。
ゲーム、コンピュータ、漫画、地理、歴史、交通、音楽などなど、学術的なものからオタク記事まで、一定水準を維持しつつ広い範囲をカバーした。
ウィキペディア草創期にうってつけの人材であった。

その活動の一つとして、Gombeは交通に私鉄各社を追加した。
「会社名が並ぶのは百科事典としていいのか、格好悪くないか。
中小まで含めるとキリがないが(あるけど)、書くのか」。
このリストはGの手で同じ日に鉄道に移された。
これが後に日本語版ウィキペディア最大の特徴となる鉄道プロジェクトの始まりであった。


373 :ヰ記 ◆8j8SuAgLGo :04/01/22 20:39 ID:???
==管理者Gombe==

日本語版から管理者を擁立する案は、3月初めに出た。
Gombeは3月11日に立候補を表明した。
17日に、Yoshitaka Mieda、G、Tomos、Gombe、Suisuiが、管理者になった。
前年12月から動いていたTomosを除けば、他の日本人管理者は2月初めの来着である。

管理者になったからといって、Gombeの活動に大きな変化がおきたわけではなかった。
全体方針や記事内容に関する討議に加わるのは今まで通りだし、Wikipedia:井戸端の交通整理も2月からやっていた。
およそ管理者に期待されそうなことは、就任前にすべてしていた。


374 :ヰ記 ◆8j8SuAgLGo :04/01/22 20:42 ID:???
ただし、削除権限はほとんど行使しなかった。本人の弁を引こ
う。

  苦手……ですね、確かに(^^; 慎重にはなります。>削除
  削除事由の妥当性に何か感じることがあるかどうかという
  よりも、削除行為そのものに慎重になってしまいますね。
  切迫していなければ削除を避けたいとか……性格の問題で
  しょうか。(^^;

投稿された記事はできるだけ生かしたいというのが、Gombeの
変わらぬ信条であった。


375 :ヰ記 ◆8j8SuAgLGo :04/01/22 20:46 ID:???
==トラブルの処理と回避==

性格に欠点がない人はいるかもしれないが、才能に限界がない人は存在しない。
Gombeもまた然り。
ウィキペディアの問題のうち、法律問題はGombeの苦手とするところだが、そう言っていられる事ばかりでもない。
人間的なトラブルは、法律がわかれば片付くというものでもない。

Gombeが処理の中心になったのはクリトリス画像をめぐる難しい論争であった。
ここで彼は、温厚さと粘り強さを貼りあわせて妥協案を示し、解決に持ち込んだ。



376 :ヰ記 ◆8j8SuAgLGo :04/01/22 20:48 ID:???
9月に鉄道プロジェクトを襲った219.111.193.249関連の混乱では、秀の介の利用者ページへの攻撃を一時停止させた。
あわせて皆に冷静になるよう説き、219.111.193.249には対話と説得の必要を説いた。
それが無視されてから、Gombeはこの問題に深くかかわらなかった。
9月25日にIPブロック案に理解を示し、11月10日にはIPブロックすべきとの考えを記したにとどまる。

しかし大きな論争への対応だけを評価対象にしてはなるまい。
Gombeには、潜在的トラブルを未然に収めた数々の功績がある。
トラブル解決におけるより以上に、トラブル回避の達人であった。


377 :ヰ記 ◆8j8SuAgLGo :04/01/22 20:50 ID:???
==外部リンク問題での酷評==

Gombeが人から声高に非難されたおそらく唯一の例が、レニー・リーフェンシュタールに始まるニュースサイト論議である。

Gombeは10月22日に無断リンクに反対の意見を書いた。
「どんなに自分が正しくて相手が間違っていても、イヤだと言っている相手の意思を無視してまで実行するのかどうか」
いかにも彼らしい意見である。


378 :ヰ記 ◆8j8SuAgLGo :04/01/22 20:55 ID:???
リンク自由を主張するOpponentは「Gombe さま。本当に本当にわかりません。話の流れを、理解なさっていますか?」
「【「無断にリンクされるのはイヤだ」と言っている相手】とは、新聞社のことですよ。」と返した。

Opponentは、この件でのGombeの発言に「心底がっかり」したので、別件、不思議の国のアリスを削除した自分の行動の釈明はしないと井戸端BBSに記した。
それとこれとの関係は謎である。

さらにDarjeelingが、「WIKIPEDIA日本語版の最大の問題点はコーディネータ不在ということでしょう」と書いたことが、Gombeにはこたえたようだ。
Gombeこそは、今までコーディネータとして働いていた当人だからである。


379 :ヰ記 ◆8j8SuAgLGo :04/01/22 20:56 ID:???
過剰なまでの譲り方で、Gombeは自分の非を認めた。

  ……全くその通りです。この状況については私も問題に感
  じます。解決へ動けていないことと、今回曖昧なコメント
  をしたことは、申し訳ないと思います。
  「自粛の論理」「コーディネータ不在」。その通りです。
  「〜〜であるべきだ / であるべきではない」→「では、どう
  すればいいか」と言う流れが、ウィキペディア日本語版
  はなかなか起きません。全ての「規定」は参考資料レベル
  に留まりがちです。まだ過渡期にあるのだとしても、これ
  は確かに課題です。
  様々な「漠然とした内憂外患」に対するポリシー全般につい
  て、「実際にどうなるか」「何をすべきか」を実務的に検討
  して明確にしていくべきですね。

後半は批判に直接対応するものではない。
Gombeが常から考えていたことであろう。
どうあれ、Gombeはこの件から手を引いた。


380 :ヰ記 ◆8j8SuAgLGo :04/01/22 21:01 ID:???
==ウィキペディアの重心==

2003年12月までに、Gombeの活動はしだいに低下した。
これにともない、Gombeは管理問題への関与を減らした。
同じ頃Gも活動水準と範囲の縮小を行なった。
2004年1月に持ち直したが、かつてのカバー範囲は戻らなかった。

ヰ記おもえらく、彼ら二人の後退は、ウィキペディアの重心の喪失を意味する。

Tomosは、人の意見のバランスを取って自分の意見にする人ではない。
足場を穏健の極端におく、容易ならぬ智嚢の持ち主である。
SuisuiとYoshitaka Miedaは、調整役を引き受けない。
確たる考えを持ってはじめて書き込み、目新しい考えなしには書き続けない。


381 :ヰ記 ◆8j8SuAgLGo :04/01/22 21:02 ID:???
快刀乱麻の解決策を持たないときでも、GombeとGは姿を現し、自分の位置を示した。
不利を認めればそれに同意し、認めなければその理由を説明した。

他のウィキペディアンは、書きっぱなしで後々の態度変化がわからないことが多い。
それゆえ、二人を説得できるか、議論の末に二人がどんな案を支持するかが、特別の意味を持った。
二人の意見が誰よりも重いと言うのではない。
全体の均衡点を指し示す機能を果たしたという意味で、ウィキペディアの重心であった。


382 :ヰ記 ◆8j8SuAgLGo :04/01/22 21:06 ID:???
==数の増加と時間の限界==

2003年春、Gombeはウィキペディアに投稿される記事のほとんどすべてに目を通していた。
それが物理的に不可能になってから久しい。

夏以降、感情的な反発を伴うもの、冷静なもの、様々な議論が進行するようになった。
Gombeはできるだけ丁寧に面倒をみようとしたが、冬が来る前に力つきた。
一部の批判がやる気を挫いた面はあるかもしれない。
が、それがなくても同時進行する議論の数に追いつけたかどうか。


384 :ヰ記 ◆8j8SuAgLGo :04/01/22 21:19 ID:???
記事数も人数も、とにかく多くなりすぎた。
一人で全体を見わたすことは日に日に困難になった。
そうなれば、管理者の活動も変わらざるをえない。
かくてGombeは部分的管理者になり、全体の重心は不可視になった。

年が改まり、管理者に新たな人員が加わっても、温厚な人柄と前向きの考え方が無用になる日は来ないだろう。
あの酷評は、今になって、Darjeelingの意図とまったく逆の意味であてはまる。
コーディネーター不在とはGombeの不足のことである。
Gombeの不在あるいは不足の後にどんな体制を作るかが、今ウィキペディア日本語版が通過しつつある時代の最大問題なのである。


(Gombe伝 完)